自動車の国内生産 · 1980年
日本の自動車生産は、なぜ世界一になった?
小型車の燃費と価格が石油危機後の需要に合い、工場の改善と輸出が生産拡大を支えたからです。
- 指標
- 国別の自動車生産台数
- 対象
- 日本国内の工場
- 時点
- 1980年
トヨタの社史によると、1980年に日本の自動車生産は1,000万台を超え、米国を抜いて世界一になりました。同年の輸出は597万台に達し、国内販売台数を上回りました。 出典を見る ↓
ここで数えるのは日本国内で生産した自動車です。日本企業が海外の工場でつくった車まで足す「企業グループ別」とは違います。
- 石油危機で燃費を重視
- 小型車と生産改善
- 輸出増が国内生産を拡大
01
買い手が気にする条件が変わった
車の値段が安くても、燃料代がかかれば使い続ける費用は大きくなります。1970年代の二度の石油危機を経て、世界では小型で燃費のよい車への関心が高まりました。日本車の燃費性能と手ごろな価格が、その需要に合いました。
02
品質と価格を両立する工場の工夫
例としてトヨタ生産方式には、異常が起きたら止めて不良品を次へ送らない「自働化」と、必要なものを必要な時に必要な量つくる「ジャスト・イン・タイム」があります。やり直しや余分な在庫を減らすことは、品質を保ちながら費用を抑える方向に働きます。
03
国内だけでなく、世界を販売先にした
日本の人口だけを相手にする場合と、海外へも売る場合とでは、生産を増やせる規模が違います。ただし、輸出には販売店や整備、部品供給も必要です。工場の効率と、海外の買い手に届ける仕組みが結びついて、生産規模が大きくなったと考えられます。
04
輸出の成功が、次の課題も生んだ
米国では日本車の販売増と現地産業の不振を背景に通商摩擦が強まり、1981年には対米乗用車輸出の自主規制が決まりました。企業が海外に工場を持つようになると、その生産は現地の国の台数に数えられます。企業の成長と、日本国内の生産順位は、同じ動きをするとは限りません。
「どこの国でつくったか」と「どこの企業が売ったか」を分けると、産業の国際化が見えてきます。
出典・確かめる資料
確認日:2026年10月30日。順位の事実と、背景をつなぐ分析を分けて読めるようにしています。
- トヨタ75年史「輸出自主規制の日米合意」1980年の首位、燃費需要、輸出、通商摩擦
- トヨタ「トヨタ生産方式」自働化とジャスト・イン・タイム