WHY WORLD HERITAGE?
世界遺産に、選ばれた理由。
国のしくみが変わる時代の記録
6世紀末から8世紀初めの飛鳥と藤原では、王のもとに政治の仕組みをまとめる動きが進みました。宮殿・役所、仏教寺院、墳墓に関わる19の構成資産が、その過程を伝えます。古い建物がたくさん立っているからではなく、地面の下に残る遺構とその位置関係が、宮都の成り立ちを示すことが評価されています。
東アジアとの交流を都づくりに生かした
中国や朝鮮半島の国々との交流は、政治の制度や仏教、建築・土木の技術に影響しました。飛鳥・藤原の宮都には、外から学んだ文化と地域の伝統を組み合わせた工夫が表れています。都づくりは、その後の奈良や京都にも影響しました。一つの地域の遺跡から、海を越えた交流の広がりを読むことができます。
見えない遺構を調べ、守り、伝える
多くの遺構は、発掘で調べたあと保存のために埋め戻されています。地上の広場や柱の位置の表示、説明図は、見えない遺跡を理解する助けです。目の前に再現されているものと、本物の遺構を区別してみましょう。田園風景の下に歴史の証拠が保たれてきたことも、建物が残る遺産とは違う大切な特徴です。
登録理由の出典:UNESCOの登録説明・評価基準 ↗
COMPARE TO UNDERSTAND
似た場所と比べると?
奈良と比べると、都が生まれる途中の変化が見える
奈良の遺産は8世紀の都の姿を宮跡と寺社などで伝えます。飛鳥・藤原では、それに先立って宮殿・役所・寺・墓の配置が変わり、中央に政治をまとめる宮都が形づくられた過程に注目します。先にできたから上なのではありません。複数の遺跡を合わせることで、制度と空間が変化する道筋をたどれる点が、この遺産の持ち味です。
公式の登録価値をもとに、特徴の違いを学習用に整理しています。現地で、ここを見てみよう。
1復元図と現在の地面を見比べ、宮殿の柱や建物があった位置を探そう。
2宮殿・寺・古墳を地図でつなぎ、藤原の都の配置と比較しよう。





